2007年11月03日

■「知と愛/ヘルマン・ヘッセ」

知と愛/ヘルマン・ヘッセ


ヘッセを読んだのは初めてです。
この「知と愛」は、とても美しくそして円熟した作品だったので、久しぶりに心打たれました。(原題はNarziss und Goldmund -ナルチスとゴルトムンド-)
この物語は、修道僧の学者の青年と放浪の芸術家の青年の友情を描いたもの。僧侶になるため父に連れられ修道院に入った少年が天性の芸術家であることを若い修道僧は見抜き、やがて少年は自分の内なる炎に気づいて奔走。放浪の人生を送るが、どんな状況にあっても二人は友でした。
彼は人生の大半を放浪して過ごしたうえ遅作だったので、残した作品はわずか。長年の不摂生のため、ペストの流行にも耐えた頑強な肉体も力尽き、修道院長になった友に見守られながら静かに短い人生を終えます。
彼は生涯かけてつくりたかったもの…胸の内に秘めたイメージ、それは母なる女性の像でした。ただしその母とは、生み出す母であり芸術に向かわせる母であり死に向かわせる母であり、しかもその「母」は、彼に自分の神秘をあらわにされるのを望まず、傷ついた彼の胸から指を入れて心臓を取り出そうと甘美な死の微笑みをたたえているのでした。(主人公は幼い頃に母と生き別れになっている)

キリスト教思想が背景にあり、なじみにくい表現も多々ありますが、表現をする人には、ぜひ読んでいただきたいと思います。

…さて、この中で私が興味深いと思ったのは、主人公の青年に表現の技を授けた、名工と言われた木彫家ニクラウス親方の存在。突然弟子入りを願って来た、二十歳過ぎの青年に「普通の弟子入りは13か14才、最低15才で修行に入るもんだ、ひげのある徒弟なんて見たことない」と言いつつも「俺もありきたりの親方じゃないし、あんたもありきたりの弟子でなくていいだろう」と迎え入れますが、頭でっかちなところがあり、むら気で手が遅く女癖の悪いこの青年を工房に入れたことをすぐ後悔します。笑 
それでも青年の仕上げた親友を模したヨハネ像が、彼の予想どおり素晴らしかったので、創造力の乏しくなってきた自分の仕事場の将来の後継者にしようと愛娘との縁談さえ考え、組合と話をつけて型破りな彼のためにいろいろ苦心するのですが…。
時代や国が違っても、こういった現場の苦労はどこも変わらないんだなあとちょっと苦笑いしてしまいました。

※:グーテンベルク21、新潮文庫発行

posted by 宮崎佐和子 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ■ BOOK
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