さて、
先日、ちらりとお知らせしましたが…。
東京での作品展が終わった翌日の6/24、すぐに香川に戻らずに埼玉県に寄って帰りました。

吉見町の
「吉見百穴」に行ってきたのですが…。

実は、この遺跡を見に行ったのではないのですね…
古代(古墳時代)の漆掻きあとを見に行ったんです

ごらんになっている方の中には「えっ、漆ってそんな昔からあるの?」とびっくりされている方もいらっしゃるかもしれません。
日本の漆製品の出土は、古くは縄文時代からあります。(有名なのは
是川遺跡ですね。是川遺跡には私たちも何度か行きました。
→ここ)
北海道・南茅部町の垣ノ島B遺跡で出土した漆製品は、なんと推定9000年前のものと判定されました。
それまで「一番古い」とされた中国の河姆渡(かぼと)遺跡の約7000年前の漆製品をはるかにしのぎ、漆文化の中国起源説を大きくくつがえす資料となったのです。
(この『世界最古の漆製品』と世間を沸かせたこの漆出土品も、2002年に残念ながら火災事故で消失してしまいました…。

)
さて、前置きはこのくらいで…。
「吉見百穴」遺跡の隣りにある、吉見町埋蔵文化財センターにおうかがいしました。
古代人の漆掻きの仕事…。
現在の漆掻きびと(この場合は松本)の目にはどのように映るのでしょうか
(以下、出土品の写真撮影・『和うるし日記』での紹介については、吉見町教育委員会からの許可を得ています)
調査員さんに、その出土品を保管室から出していただきました。(この包みの中に…どきどき

)

これが1300年前の漆の木です。 クリックで拡大します。(以下の写真、同)

漆かきあとの出土品は3本あります。
この出土品は何かといいますと…。
吉見町の広報誌に掲載された埋蔵文化財センターの資料から、抜粋いたします。
昨年12月の公開以来、注目されている西吉見町条里遺跡(流川耕地内)から発見された「漆採取痕のある古代の杭」について紹介したいと思います。
発見された3本の漆採取の痕跡を残す古代の杭は、平成13年度に実施した西吉見町条里遺跡の古代道路跡の発掘調査で出土したものです。
ちょうど古代道路が旧河道(小さな河の跡)を横切る部分であり、その川岸の両側には、約300本の大小さまざまな大きさの杭が地盤の補強材として打ち込まれていました。
その約300本のうち5本がウルシ材であり、さらにそのうちの3本については杭の表面に幅5〜8mm、深さ約1mmのキズが材を一周するようにいくつもついているのが確認されました。
おそらく、最初は漆を採取するために利用されていたものが、やがて良質の漆が取れなくなり、古代道路を作る際の土木資材としての杭に転用(2次利用)されたものと思われます。
この杭の年代は、その出土状況と放射性炭素年代測定法の結果から、古代(7世紀後半〜8世紀前半)のものであることが判明しました。
現在、漆を採取した痕跡の確認できる資料が出土している遺跡は、全国でも3例しかなく、今回の西吉見条里遺跡で4例目となります。しかも古代の遺跡では2例目という非常に貴重な発見となりました。
※漆採取の痕跡が確認できる資料が出土した全国の遺跡
(1)東京都東村山市下宅部遺跡(縄文時代)
(2)石川県かほく市指江B遺跡(古代)
(3)富山県小矢部市桜町遺跡(近世)
(4)埼玉県比企郡吉見町西吉見条里遺跡(古代)※この(1)の下宅部遺跡の縄文時代の漆採取あとの出土品は、発表から間もない頃に、松本と見に行ってます。今回の吉見町の出土品も、下宅部遺跡の調査員さんが東京の作品展に来てくれて、その時に「ぜひ」と教えてくれたので、今回予定を調整して埼玉に行くことにしたのでした。このウルシの木は7世紀後半の遺跡から「杭」として使われていたもの。
300本というたくさんの「杭」が出土した中、念のため樹種鑑定してみたところ、うち5本がウルシ材と言うことが判明したんだそうです。
さらにその5本のうち、3本が「漆樹液を採取したらしい傷あと」が確認されたのでした。

うち、2本は保存処理済みということで
手に取って見せていただきました。
以下、続々といろんな角度で撮った写真をアップします。

クリックで拡大します。(以下同)

ウルシの木の皮は柔らかいので無くなっています。

奥の材と、色が違うのは保存処理の違いだそうです。(奥のはもろいので、触れません)
でも、この黄色っぽい色が生々しくってリアルです。実際のウルシの材もこれにかなり近い色をしているんですよ。

これらの古代の人が漆を採った仕事の痕跡を見て、松本は「すごい技術だ、今とほとんど変らない」と驚きを隠せませんでした。
キズがややらせん状になっているのは、採った人のクセかもしくはその土地のやり方ではないかと。
調査員さんも、興味津々です。
漆かきについていろいろ情報交換をして、男性どうし、いろいろやりとりが楽しそうでした。
(↓こんな感じです)
「あと、漆採取の道具とか見つかればねえ」
「ほんと、ほんと」
「漆を使える人って、当時もすごく限られていたはずなんですよ。だからそんな仕事をしていた跡地でも見つかれば」
「本当に、相当早い時期から技術が完成されていたみたいですね」

「杭」に加工されているので、こちら側は
削って加工されています。
もともと、これらの「杭」は、古代道路造成にともなって(当時、たいへん規模の大きい道路が造られていたのです)地盤改良のために、打ち込まれていたものだそうです。
大きな工事に大量の杭が必要になったので、漆を採ったあとの廃材をリサイクルしたのでしょうか。


今までこのような角度で検査したことがなかったそうなのですが、確認してみたら近辺でも同様のウルシ材が出土しているんだそうです。(こういったことはよく聞きます。あまりにも膨大な出土品の数々を細かく精査するのは限界があって、中には見逃してしまうものもあるかもしれないんだそうです。
←でも、人の手と目でするものなので仕方ないですね。
それが難しいところですが、こんな事例が出てくると、その視点で調査することができるので、今まで見逃されていたであろう出土品が確認されて、新事実が判明することもあるらしいです)
今回は、急に無理を言っておうかがいしたのにも関わらず、本当にありがとうございました

短い時間でしたが、とても有意義なものを見せていただきました。^^
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さて、話はがらりと変りますが…。

埋蔵文化財センターの施設内に「勾玉つくり体験」のコースがあります。子供向きの教室なのですが、せっかくなので二人で体験させていただくことにしました。

…松本は夢中でけずってます。笑
ストレスが溜まっていたらしいです。
コースの内容は、好きなロウ石の角材(いろんな色があるんです)を選んで、勾玉の型紙を当てて下書きの線を入れ、それに合わせてヤスリ等で削っていくんです。
これは子供にはけっこう難しい作業ですねえ。

(特に勾玉って立体に削り出すのには、かなり難しい形だと思います、体験コースではモース硬度1のロウ石ですが、硬いヒスイや水晶を古代の人たちはどんな道具で美しい勾玉に加工していたんでしょう?)

できました! 左が松本、右が私です。
好みの色の紐でペンダントにしてくれました。
実は、この体験コースで「琥珀の勾玉作り」というものもありまして…。
それも二人とも参加していたのですが、夢中になりすぎて、びっくりするような時間になっていました
で、私は材料だけ持ち帰らせてもらいました。(松本は手が早いので、調子にのって?琥珀の勾玉も完成させましたよ… おかげで帰りの新幹線はギリギリでした)
そんなこんなで、東京〜埼玉と、珍しくハシゴして貴重な体験をしました。
それにしても、漆って、本当に不思議ですねえ。
昔の人たちに恥じないような仕事をしたい、と思いました。