2008年07月16日

■「阿波うるし」の悲しい思い出。

先日、紹介した浄法寺うるしのお椀と阿波うるしのお椀ですが…。
この松本が自前で採った阿波うるしには『ほろ苦い思い出』がいっぱい詰まっています。

徳島県にうるし掻きに行ったのは、2001年。
松本が研修から戻った翌年でもあり、そして工房を立ち上げた年でもありました。
(阿波うるし掻きの時は、原木の手配を徳島の漆掻きさんの東さんにお世話してもらったのですが、その後木の手だてが難しくなって、一度きりだけです)
浄法寺の漆と、徳島の漆。
おもにこの産地の漆で、日本産うるしだけの工房「和うるし工房あい」の仕事を立ち上げたのですが、初期は地元の香川県を中心に活動していました。当時は工房にお客様が付いていなくて、とても生活は厳しかったです。
地盤がない、ということですね。

地元の方は応援して下さいましたが、香川県は漆のうつわは贈答品でいただいたりもらったりする、という傾向が強くて、こうした嗜好性のつよい高額なお椀などをご自分で選んで買う・使うという文化はあまり育っていないように感じます。

7/16当時の会場
初期の頃の高松での会場。(懐かしい…)


当然、日本産うるしだけのものは全く認知度はなく(ものが豊富な都会でさえそうですから)数千から数万する高額なうつわ(といっても実はすごく破格だったのですが)を、次々と買って下さるにも限界があったと思います。
その中でも、阿波うるしのお椀すこぶる不評でして…。
「ぴかぴかして嘘っぽい」「なんかニスみたい」とさんざんでした。もうやだ〜(悲しい顔)
(ごくたまには阿波うるしのタモのぐいのみをさっと見つけて買って行かれた粋な方もいましたが)
落ち込んだあまり、この美しい阿波うるしのお椀を、黒漆で塗りつぶし、お客様に好まれやすい黒い椀にして二束三文で売っていたこともありました。
いま、思うとほんとうに漆に申し訳ないことをしたなあ…と心がチクリとするのですが、工房にも漆にも全く知名度がなかったので仕方ありません。ここまで来る一つの過程だったと思うようにしています。
(ここまで書いてふと思い出しましたが、同じものをごらんになった都会の漆専門のギャラリーオーナーさんも、当時の地元のお客様と同じようなことを言われていました。『漆の椀は黒っぽくてしっとりしているもの←その多くは中国産漆のものだったりするのですが』という固定概念も関係しているのかもしれません)
もう、この松本の採った阿波うるしは使い切ってなくなっています。


****************************************

都会の百貨店さんで展示会ができるようになったのは、ごく最近です。それまでは、小さなギャラリーさんや商店街の貸し画廊さんでお世話になってなんとか続けてきましたが…。
面白いものですね。
それまでは見向きもされなかった阿波うるしのお椀が、漆に対して目が肥えた方がごらんになるようになって、「このお椀ってどうして売ってくれないのかしら」と言われることしばしばです。(※サンプル現品かぎりなのです)

本当に、不思議なものだなあと思います。

※追記。当時の会場の写真です。
7/16当時の会場2
これも懐かしいなあ…。
今はもうない高松市商店街の貸しギャラリーさんです。(三越高松店さんのすぐ近く)
いま見ると、かなり自由な展示をしています…。その代わり、搬入と飾り付けはギリギリでした。とても疲れて厳しかったけど、やっぱり楽しかったな。

励みにしてます →  人気blogランキング
にほんブログ村
posted by 宮崎佐和子 at 20:53| Comment(2) | TrackBack(0) |   阿波うるしについて
Powered by さくらのブログ
y
<!-- [FC2 Analyzer] -->