2009年12月20日

■「アンネとヨーピー」著/ジャクリーヌ・ファン・マールセン

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ホロスコートの象徴、アンネ・フランク。
あまりにも有名すぎる彼女の日記に『ヨーピー』という名で登場する、彼女の親友ジャクリーヌの著書なのですが、たいへん興味深いものでした。
ユダヤ人の父を持つジャクリーヌは、15才で収容所で死んだアンネの一方、戦争を生き延び、平凡な主婦となった女性。(「隠れ家の八人」の中の唯一の生き残り、アンネの父オットー・フランク氏が収容所開放後にすぐ訪れた一人がこのジャクリーヌだった)
そして、ナチスの恐怖の去ったあと、平和に平凡に生きたいと願っていた彼女ですが、戦中に死んだ幼友達の「日記」の名声が高まるにつれ、否応なしにジャクリーヌも平穏な人生を送ることができなくなっていく様子がつぶさに書かれています。

「あんな無名の15才の女の子の、個人的な日記なんて、本になっても誰が読みたいと思うでしょうか。ましてや戦争の頃のことなどもう思い出したくない」

ジャクリーヌにとって、死んだ幼友達の日記は複雑な心境のものであり、忌まわしい戦争の記憶とともにあるもの、そして思春期の女の子同士の秘め事といったプライベートも書き込まれたアンネの日記の存在は、率直に言えば苦痛でさえあったらしいのです。

その一方、アンネの死後に出版された日記が人気を博し、「ブランド化」していくにつれ、当時はアンネには見向きもしなかった人たち(もしくは全く彼女を知らなかった人たち)が「実は彼女の友人だった」と次々と名乗りをあげ、メディアの寵児となり、アンネファンの望む「アンネ像」を作り上げていく。
そして絶大な影響力を持つにいたった「アンネ・フランク財団」の利権に群がる人びとを、冷静な目で見つめていた数十年の足跡は、興味深いものでした。

そして半生を愛娘の著書のために捧げたアンネの父オットー・フランク氏(彼は日記がねつ造だとするネオナチの裁判に何度も引っ張りだされもした)を敬愛しながらも、「アンネ・フランク」が当事者の手を離れ、脅威的なカルト化していく経緯の中で、オットー氏自身さえもその渦に引き込まれていくさま(そして彼女自身も)を敏感に感じ取り、率直につづります。

それの言葉があまりにもリアルすぎるので、アンネが愛した親友、大人になった「ヨーピー」のなまなましい肉声に最初は驚かされてしまうのですが、やがてなぜアンネがこのジャクリーヌを愛したのか、最後まで読み、分かるような気がしました。

それにしても…
著書にはジャクリーヌとアンネ、その周囲のユダヤ系家族の運命も克明に切り出しています。その明暗をわけたものを考えるのも、この混沌とした社会を生き抜く大きなヒントになるような気がしました。

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posted by 宮崎佐和子 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ■ BOOK
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