2015年08月04日

■椿の丸重箱、絵付けができました。

8月に入り、特番でも戦後70年の企画が多くなっているようです。
いろいろニュースも多いですし… ふだんは忙しくされていて、あまり意識をしていなかった方も、戦後の日本について、今年は少し考える機会がある年なのかも知れませんね。
自分の話で恐縮なのですが…あせあせ(飛び散る汗) 私の父の一家は、朝鮮半島からの引き揚げ者でした。
私の祖父母は韓国の大邱(テグ)に移民し、次々と子供が生まれ、父が末子として誕生したのですが、父が2才になる直前に突然の終戦。38度線を境に朝鮮は南北に分断され、混乱を極めたそうです。
苦しい引き揚げの際、幼かった父は衰弱していて「この子は朝鮮に置いて行こう」となりかかったそうです。が、伯母の一人が「私がおんぶするから、弟も連れてって!」と泣いて懇願して、ハッとなった祖母は気力を取り戻し、子供5人を連れて日本に戻ったのでした。
当時14才だったもう一人の伯母は「引き揚げ船に乗ったが、海は機雷だらけだった。恐ろしかった」と語っていました。
苦労して帰った故郷も疲弊していたのか、祖母たちは施設で暮らし、生活は苦しかったようです。
父を救った祖母も伯母も若くして亡くなり、私はほとんど記憶がありません。が、ほんとうに不思議なものです。
伯母が弟と一緒に帰ると言わなかったら? 父の体力が持たなかったら? 祖母が決断しなかったら…?
父の家族が、もし大邱でなくて、平壌のように38度線以北に住んでいたとしたら? 「流れる星は生きている」の親子同様の恐ろしい脱出劇となり、生きて帰ることはできなかったかもしれません。
こうした私の父のような話も、ごくごくありふれた話で、けっして珍しいことではなかったことでしょう。
ほんの1〜2代前までは、どんなに平凡な人もギリギリの選択を強いられ、生きるか死ぬかの瀬戸際だったということは、現在の豊かで暮らしからは想像できなくなっているほどですね。ふと思い出して、くだらないことで腹が立ったり、不満に思ったりする自分がはずかしいな〜と思うことがあります。たらーっ(汗)
…こうした父の家族の話も、今までぽつりぽつりと聞いていただけなので、端々まではよく知らないことに気づきました。また、この夏にゆっくり聞いてみなければ…と思います。わーい(嬉しい顔)


さて、そんな今日はこれをご紹介したいと思います。


バッド(下向き矢印)以前から、ちょこちょことお知らせしていた椿の丸重箱です。 
椿のお重箱 つばき ツバキ 香川漆器 宮崎佐和子
ほぼ、絵付けが完了しています〜。やったーexclamation 
朱と緑、このような顔料を使った華やかな彩色は、工房ではちょっとめずらしいかもしれませんね。
朱や黒以外の色漆は、時々キャンバスに描く漆絵画などや一部の装身具で、ときどき少し使うくらいかもしれません。
このお重箱ですが、あとは全体のバランスを見ながら、加筆などの微調整をしていきます。どの角度から見ても可愛くなるように。
(↑けっこうむつかしい…ふらふら
そして、上塗りの直前に全体をかる〜く研磨をしなければ…。この絵付けの雰囲気をこわさないように、なおかつよい塗り肌が乗るように準備をしますよ。
上塗りシーズンがまだ到来しておらず、塗り上がるのはもう少し先になりそうです。わーい(嬉しい顔)



DSC_0499.jpg
さて、今日のおまけ写真です。黒ハート
エアコンの効いた涼しい床で寝そべるむぎ君…。
(皆は暑いところで勤労しているというのに!!)
いつもありがとう…→  ブログランキング
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心地よい暮らしへ

posted by 宮崎佐和子 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ■ 工房の仕事
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/159767811

この記事へのトラックバック
Powered by さくらのブログ
y
<!-- [FC2 Analyzer] -->