もう11月‥ 最後のうるしかきになりますよ。^^
どうぞ、ごらんくださいませ。
裏目うるしについて。←裏目について詳しくはこちらをどうぞ。
カンナでキズを入れて、キズの中にさらに刃でメサシ(切り込み)を入れる様子です。
映像を見てくださるとわかるのですが‥
漆掻きを「木にキズを入れる」という表現をしますが、「キズを入れると」いうよりも、「ミゾをつける」という方が正確かもしれません。
最初に漆掻きカンナを通した時、すーっと1本の細い木くずが出て落ちます。これで、木の幹に∪型のミゾができます。
これが漆掻きの時に木に付けるキズなんですね。
‥もう、時期も終わりなのでうるしはあまり出ません。
ゆっくり、乳白色の液がじわーっと出ます。(これが真夏の盛り漆だと、かなりの圧力で勢いよく漆が出てきます)
メサシ(切り込み)を入れた様子。
∪型のミゾをつけたあと、さらにミゾの真ん中にとどめで切り込みを入れます。この映像では、その切り込みから少しの漆がぷくっと出てくるところが見られます。
(指を切った時に似ています〜 >_<)
本間さんの漆掻き研修ももう終わりですね。
あとは、役目を終えた木を切り倒して片づけをして、研修を終えます。
師匠の佐藤春雄さんの仕事のお手伝いをして、今月末に茨城に戻るそうです。
約6ヶ月間、ほんとうにお疲れさまでした。

今後のご予定は?とお聞きすると‥。
来年はさっそく茨城で漆掻きを再開するので、地元に戻ったら木の準備をされるそうです。わっ、なんとも頼もしい言葉です。(楽しみだなあ〜そして成熟した漆の木がある茨城がうらやましい!)
ますます期待したいところです。^^
そして、お父さんである本間幸夫さんの個展が控えているのでそちらのお手伝いもしたりとなかなかお忙しいみたいです。なので、4日山のうち、一日山くらいのペースで漆を採りたいとのことですよ。
本間さんとは、今月の末にうるし掻き研修生OBが集まる視察交流会で松本がお会いできると思います。(たぶん出席します)
漆おたく同士?また、盛り上がりそうですね。
夏の盛りにカンナを引いてアイを入れると、サッと出てくる最初の漆は無色透明でした。2回、3回とさらえる度に乳白が増してきます。それから後は乳白で粘い液でした。
最初に出てくる無色透明の漆ばかりを試験管にとって1ヶ月余り休ませると下に1cmほど黄色い物がたまってそれから上は淡口醤油のようで向こう側が透けて見えます。
これこそが本当の日本一の生漆で、年をとったらこんな漆は掻けないと、よくおじいさんは言っていました。そして真によい生漆は固化しないといってました。
岩手浄法寺での漆談義を早く聞きたいですね。
奥久慈には掻いてもらいたい漆の彼女達が沢山待っているみたいですよ〜。
今日はとても肌寒い一日でした。;;;
>おじいさんは漆掻き職人でした。小学生のころは習ってよく山に入って掻きました。
そうなのですか、おじいさんが漆掻きをされていたんですね。なんだか納得できるような気がします。
小さい頃から間近でごらんになっていらしたから、思い入れがひとしお強いのですね。
>最初に出てくる無色透明の漆ばかりを試験管にとって1ヶ月余り休ませると下に1cmほど黄色い物がたまってそれから上は淡口醤油のようで向こう側が透けて見えます。
これこそが本当の日本一の生漆で、年をとったらこんな漆は掻けないと、よくおじいさんは言っていました。そして真によい生漆は固化しないといってました。
とても興味深いお話です。
文面だけは全容がわからないのですが、「よい漆」を求めて、真剣に取り組んでいらした方だったのですね。
漆掻き職人さんといってもいろんな方がいらっしゃいます。錬磨されている方がいれば、ひたすら事務的に仕事をされている方もいます。次はこんな漆を採ろうと理念がある方もいればご自身が採った漆の質の判断ができない方もいます。
その方は、ちゃんと信念を持ってお仕事をされていたんだなあ、と感じました。^^
>カンナを引いてアイを入れると
お里が関西圏なのでしょうか。
漆掻きの地といえば、今は浄法寺が代表なのですが、少し前までは日本各地で漆を採っていたものです。
こうした故郷の記憶を持つ人がどんどん少なくなっていくのはちょっと寂しい気がします。
このたびはコメントを下さいまして、ありがとうございます。^^
>健司先生が帰ってくるのを教室の生徒みんなが首を長〜くして待ってますよ〜♪
岩手浄法寺での漆談義を早く聞きたいですね。
茨城のウルシ王子ですよね〜、きっと。(´m`)
最後まできっちりお仕事を片付けて帰るそうです。(漆の木を、焚付けの薪にして師匠に渡すんだそうですよ)
ほんと、浄法寺のいろんなお話を聞くのが楽しみですね♪
>奥久慈には掻いてもらいたい漆の彼女達が沢山待っているみたいですよ〜。
わ〜、茨城は木がいっぱいあるからいいですねえ。
うらやましいです、;_;
こちらは、まだ当分は地元で漆掻きはできそうにないです。
明治40年発刊の「実用漆工術」に、生漆産地が格付け順に30ヶ所載っています。
1丹波、2吉野、3相模足柄、4後岩船、5武蔵秩父・・・。
丹波がトップだったんですね。
江戸時代から明治の初めにかけて、丹波には五百人からの漆掻きの職人がいたのですね。
そして丹波の木だけでは足りなくて、西へ向かって丹後、但馬、作州、出雲、備中、備後、遠くは四国、九州まで出かけていたのですね。
こちらは今日は晴れていい一日でした。^^
漆掻きの衣川光治さんにゆかりがおありなのでしょうか。
当時、試験管に漆を入れるようなインテリな漆かきさんは、衣川さんしか思い浮かばないのでそうかなあと思ってしまいました。
>明治40年発刊の「実用漆工術」に、生漆産地が格付け順に30ヶ所載っています。
1丹波、2吉野、3相模足柄、4後岩船、5武蔵秩父・・・。
丹波がトップだったんですね。
資料を見てくださってありがとうございます☆
今なおまだ漆を生産しているのは丹波くらいでしょうか。(いま知る限りでは‥吉野は最近復興に力をいれてらっしゃいますね)
なかなか、心強いものがあります。^_^
もう、当時の勢いはないですが‥。
ご存じかもしれませんが、現在は丹波漆生産組合の組合長の岡本さんを筆頭に、情熱的な(濃い?)漆かきのおじちゃんが頑張っていらっしゃいます。
それを見るとなんだか頼もしいものがあります。マンパワーの強さが‥すごいんですね。;
丹波漆の今のがんばりを、もっと多くの人に知っていただきたいなあと思ってます。
衣川光治さんとおじいさんが長いこと漆生成論についての手紙のやり取りのつきあいがあって、わたしも晩年に衣川理論を教えてもらいました。
現在の丹波漆の状況についてはまったく知りませんでした。
お時間がありましたらぜひ、少しずつ教えていただきたいです。
お返事が遅くなってしまいました。
つくづく衣川さんは、たいへん影響力の大きかった方だなあ〜と思ってしまいました。博識でまた情熱のある方だったそうで‥
青葉マー子さんのおじいさんと、親交がおありだったんですね。^^
当時はまさに漆を取り巻く状況が大きく変わって危機感もひとしおだった時なので、たいへん励みにもなり目標にもなったことでしょう。
私は衣川さんにお会いしたことがないので、話に聞くだけですが‥ 丹波はそのご遺志を受け継いで、その熱〜い漆かきのおじさん達が今でもがんばってらっしゃるんですよ。;;
本当に人の強い思いは世代を移るんだなあと感じました。
私も丹波の方たちには、学生時代から漆かきを見せていただいたりお世話になりました。
(丹波の漆の木、とても美人さんなんですよ〜)
もし機会がありましたら、ぜひ夜久野に(やくの木と漆の館にも)一度お立ち寄りくださいね。
ではでは♪
今年も茨城の漆をよろしくお願いいたします。
本間先生も昨年暮れに帰ってきました。
ご苦労会を兼ねた忘年会にて浄法寺の報告を聞くことが出来ました。
ところで以前お話していた漆珈琲ですが、煎った豆?(漆の実)を神長さんから預かりましたので(今年の漆の実が残っていなかったとのことでほんの少しになってしまいましたが)宮崎さんのところに送りたいのですが、住所がわかりませんので教えてください。
メールアドレスを入れておきましたのでそちらのほうへ一報を下さい。よろしく。
明けましておめでとうございます!
こちらこそ、よろしくお願いいたします。^^
>本間先生も昨年暮れに帰ってきました。
ご苦労会を兼ねた忘年会にて浄法寺の報告を聞くことが出来ました。
わっ皆さんで忘年会をされたんですね。(楽しそう‥)
本間さんは11月いっぱいまでの長い間、頑張られたのでお疲れだったと思います。
私たちもこれからの茨城に期待したいなあと思っています。
>ところで以前お話していた漆珈琲ですが、煎った豆?(漆の実)を神長さんから預かりましたので(今年の漆の実が残っていなかったとのことでほんの少しになってしまいましたが)宮崎さんのところに送りたいのですが、住所がわかりませんので教えてください。
漆珈琲ですね!
覚えて下さっててありがとうございます。分かりました、メールをお送りしますね。
私は初心者なので、とても楽しみにしています。