2010年07月12日

■漆のフリーカップとバロック真珠。

琥珀や真珠が大好きな私…。
なんどか書いたことがあるのですが 、こうした有機質のジュエリーは、「命から生まれたもの」というあたたかみがあり、そのはかなさが美しいのです。

この控えめな美は、漆に通じるものがあります。


バッド(下向き矢印)あこやバロックのピアスとフリーカップです。
真珠1真珠2

虹色の入った、ナチュラルブルーのあこやさん。
自分たちの作品展に出ていた時に、同じフロアで出品されていた作家さんから求めたものなんですよ。^^

厳密なペアではなく、すごーく甘いペア組のラフなあこや真珠さんですが…。ほの見える、海のような青に見入ってしまいます。
(真珠のことは詳しくないんですが、変形が強いものはテリが力強いような気がします)
真珠3

その優しい輝きは漆と同じような意志、真珠が海の鼓動なら、漆は山の息吹を持っているように感じます。




鯉のギンモさて、今日のおまけ写真は「うどん色」の鯉のギンモ君です。ご近所のうどん屋さんの鯉なのですが、うちのキンモと違って、この子は巨大なんです。そして「おさかな」というより、シロイルカかジュゴンか何かみたいなんですよ。
(ギンモがうどんを食べるシーンを動画に撮ろうとしたのですが、失敗しました;; ※うどんを食べるギンモの写真
今日も、まっしぐらに駆け寄ってくれた、元気なギンモ君の顔をナデナデしてあげました。ぴかぴか(新しい)

posted by 宮崎佐和子 at 21:43| Comment(2) | TrackBack(0) |   思うこと

2009年10月21日

■三十代を振り返って。

先日、松本は地元のクラフトフェア(フィールド ミュージアム SA・NU・KI)を見に行って、地元のいろんな作家さんと親しくなったようです。^^
工房の仕事は、今は県外ばかりなので…。
なかなか、地元で活躍されている方とお知り合いになる機会がなかったりします。;;
で、松本はここしばらく面白いガラスや金工などの作家さんの工房をおたずねして、楽しくお話させていただきながらこれからの展開の参考にさせていただいているようですよ。

金工小屋の石井真咲喜さん、天霧ガラス工房の蠣崎允さん亀山紀子さん、たまたま会場で出会った木彫工房夢中庵の瀧川夢中さん、工房におじゃまさせていただいて、ありがとうございました。



さてさて、私事で恐縮なのですが…。
今月は私の誕生月、いま残りわずかな三十代を過ごしています。
(なんだか信じられないですねあせあせ(飛び散る汗)
この工房を立ち上げたのが三十一の時。今までいろいろあったなあと懐かしく記憶がよみがえることが多々あります。
わずかな年月ですが、いろんな転機が私達のもとにやってきて、そして去っていきました。
そして、以前の自分は、なんて「世間」を知らず、「人」というものを知らなかったのだろう、そして「自分」をいうものさえ正しく見ていなかったのでしょうか。
そんなわがままで狭量な姿を、気づかずに平然と世間にさらしてきたことを思い出しますと、恥ずかしさが今なおこみあげてくることもあります。


そして、仕事の方もいろいろありましたが…。
私事でいちばんの転機になったのは、持病を得たことでしょうか。
「えっ?」と思われるかもしれませんが… この持病というのは、現代社会にふえているとされているものの一つです。(これを読んでくださっている方にもお心当たりの人がいらっしゃるかもしれませんね)
私は、そういった方面にまったく知識がなかったので…(まさか自分がね〜という感じです;; )
異変に気づいていた松本の忠告も無視し?初めて病院に行ったのは、もうふらふらになってから。
その時は、心身機能がかなり落ちて、人と話もできず新聞も読むことのできないような状態でしたよ。;;

なので、ふたたび本が読めるようになった時は、すごくうれしかったですね。
それにしても、以前は無味乾燥な文字の羅列にしか見えなかったページが、生き生きと命を得て色を持ってせまってくるのは、なんて不思議なことだろうと、つくづく感じ入りました。
時代を越え、国境を越えて、人生を共感できるのはものすごいことですね。人に生まれて教育を受けて生きているということは、そして健康であることがなんて希有なことかと、なんともいえない気分にもなったりします。

* * *


少し振り返るだけでも、いろいろと浮き上がってくるのですが、それにしてもぶじ誕生日を迎えられるのも陣痛に耐えてくれた母のおかげですよね… 心から感謝したいと思います。
そして、もっとしっかりした、そして少しは、日本産漆のために足あとを残せる人間になれますように。そんな気持ちを強く持っていきたいと思います。
読んでくださっている四十代のみなさまがた、あと少しで仲間入り?させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたしますね。^^
これからもよろしくお願いいたします。ムード


posted by 宮崎佐和子 at 23:17| Comment(6) | TrackBack(0) |   思うこと

2009年09月07日

■工房のうつわについて。

めっきり涼しくなって、とても9月上旬とは思えない夜風を感じるようになりました。
この秋2回目の作品展をひかえて、ちょっとばたばたしています。^^

さてさて、以前からなのですが、工房のうつわについてのお問合せをよくいただきます。いつも、ありがとうございます。ムード
「どこで入手できますか」というお問合せが一番多いように思います。(ほんとうにありがたいお問合せですね…)

和うるし工房あいのうつわは、たいへん恐縮なのですが… 基本的には、各地の百貨店さんでの作品展の販売が主流になっています。
会場で、ご説明をしながら実際に一品ずつ手に取って見ていただくという形です。


バッド(下向き矢印)あと、地元香川県のOMエコショップすがさんのショップページで、不定期に新作をアップしています。
8_14_owan_.jpg
次回、ショップに出品予定のお椀たち。
次回更新は9月の中旬(予定)です

このエコショップすがさんの方には、最近になってやっと以前よりペースアップして少量ずつですが、品を納品できるようになりました。(それまでずっと「在庫切れ」の表示のままに長期間なっていて、たいへん申しわけなかったです)
ほか、この日記の左下に記載している「作品販売店について」の欄にお店をご紹介しています。お品の数や種類はかなり限られているのですが、ごらんくださいますと嬉しく思います exclamation


本当なら、もっと、こまやかなご要望にお応えできるように、あちこちに常設したりできればよいのですが、気難しい「日本産うるし」という材料と時間のかかる作業、そして夫婦ふたりだけ人間の切り盛りでは、常設で置きっぱなしにできる在庫をつくるほどの余剰がなかなかできません。ふらふら
…ふつう「工房」と言えば、看板作家さんの名前のもと、数人の職人さんがひかえていて制作の仕事は陰で支えているものなのですが、なかなかそう簡単にはいかないものですね。たらーっ(汗) 毎年、福屋さんにおじゃまするたびに「まだ二人だけで仕事やってるの?」「あの軽(ハコバンなんです)に今年も乗って来ているの。大丈夫?」と心配されてしまいます。(ほかの作家さんは、きっと立派な車で搬入されてらっしゃるんだろうなあ…)

9_7_shop_.jpg

それでも、最近は弟子が自分の仕事のかたわら、工房の修理の仕事などを手伝ってくれるようになり、とても助かっているんですよ。なので、今年は三人でおじゃましますから、福屋さんもちょっと安心してくださるかな…?

そんなこんなで、広島の作品展まであと少しですが、どうぞよろしくお願いいたします。ムード


posted by 宮崎佐和子 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) |   思うこと

2009年08月15日

■漆の世界に入ったわけ。

今日は終戦記念日ですね。
ぎらぎらと照りつける太陽、セミのけたたましい鳴き声、線香の匂い…。この「8月15日」という日は、やはり特別な日だという気持ちが強くなります。子供の頃の思い出に基づいているのでしょう、このような鮮烈な印象とともに、夏の太陽の強烈な光のように焼き付いています。
私は、もちろん戦時中の厳しい時代を知らない世代です。
そういった記録の書物はたくさん読みましたが、よく理解できず、なんともやりきれない、説明できない気持ちになるだけだったことを覚えています。
ほんの子供だったんですね。
しかし、年を重ねるにつれ、そして人生や世の中について多少は分かるようになるにつれ、その時代のことを自分なりに想像し、解釈するようになっていきました。
そういったことを思い出しながら、今日はいつもの日記と違うことを書いてみようと思います。お付合いくださると幸いです。

さて、私事でたいへん恐縮なのですが…。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私が「漆に人生をかけよう」と決心したのは27才の時です。それまでは地方の出版社に勤めていたのですよ。はたちで就職し、一人暮らしで仕事は忙しく辛かったけど、やりがいはありましたし、仕事をつうじてたいへん勉強をさせていただきました。

それがなぜ、畑違いの分野にいってしまったのか…。
思えば理由は一つだけでないのです。
ほんとうにいろんな気持ちがありました。その当時のたいしたことのない、等身大の頭を使って、それでも考えて悩み抜いて、自分自身に問い、またいろんな方に意見を尋ね、そして遅まきながらやっと今後の自分の人生の方向を決めたのですね。
その理由の一つに「ささやかでも、後世の世代のために残す財産をつくりたかった」という思いが強くありました。
人ひとりが一度の人生でできることは、たかがしれているものです。その「何かを積み重ねる仕事」に選んだのが「漆」だったのです。「漆」という世界で、微力ながらも後世へ積み重ねていく仕事をしようと決意をしました。
あらためて言うまでもないことですが、焦土になった国から今の社会を作り出したのは、祖父や父の世代の人々です。「日本を立て直したい、子供たちが飢えない暮らしをさせたい」の一心で、必死で働いてきてくれたのでしょう。
また、さらにそれ以前の世代の無数の人々が生きて死に、気の遠くなるような年月をいくつもいくつも重ねて、現在の社会があるのですね。
なのに、自分たちの世代はその豊かさを、なんの疑問もなく受け取り、さらにそれだけではなく、先人の積み上げた財産を無造作に喰い潰しているということにはたと気づいた時は、なんとも言えぬ思いになりました。

ほんの身近な話を出させていただけば、私の祖父は南方に出兵していましたし、戦死者もいます。祖国を守ろうとした祖父たち、家族を守った祖母たちの真剣な思いは、現在からどのくらい推し量ることが出来るでしょう?
しかし、その当時の念の大きさからすれば何十分の一かには薄まっているかもしれませんが、不思議なことにそれはいつの間にか私の胸の内にあり、気づけば支えの一つになっているのです。

さらに、最近気づいたことがあります。
私は、どちらかといえば父親似だと思うのですが、ある時期から母の方によく似てきました。それからさらに年を重ねた今、ふと鏡を見ると、亡くなった祖父の面影が自分の容姿に加わったように感じるようになりました。もちろん女性にとって、自分の若い頃の容姿からだんだん遠ざかっていくのは、正直ありがたいものではないですが…あせあせ(飛び散る汗) 
もしかしたら、会ったことのない祖父母や曾祖父母の特長も、知らず知らずのうちに、だんだん加わってくるのかもしれません。

…そういえば、ふと思い出したことがありますので、この機会に書かせていただきますね。
出典は失念しましたが、戦時中、特攻に行った兵隊さんの遺書を思い出しました、その方は、奥様と赤ちゃんがいらしたのですが、幼い娘に宛てた文がありました。
「父は役目を果たすためもう戻らないが、あなたは父のない子ということで悲しまないでほしい、あなたの姿は父に生き写しだし、父はずっとあなたと共にいる」という内容だったと思います。
幼子を残して逝くという無念さは、今なら少しは察することができようものなのですが、それを読んだ当時の私ときたら、「それでも娘は生涯父に会えずぬくもりも知ることはない、あくまでも残される者への気休めの言葉にすぎないのではないか」と思ったものです。
しかし、それから歳月が経ち、自分自身の姿や内面に父母、祖父母の容姿、自然と受け継いだ気質(長所も欠点も)を強く感じるようになるにつれ、そうした先祖の慈愛やいつくしみ、そして、うまく言葉で説明できないのですが「先人の意志」のような存在を自身の内部にだんだん感じるようになりました。
その兵隊さんも、自分似のわが子に、そのように伝えたかったのではと思います。
私自身は恥ずかしいほど出来ていない人間ですが、もし本当に「先人の意志」のような、そんな魂が私のような者にも宿り、見守ってくださるのだとしたら…? 
だからこそ、精一杯生きなければといっそう感ずるようになりました。

それにしても「類は友を呼ぶ」とはうまく言ったもので…。
今はご存知のように松本という超漆おたくのパートナーに恵まれ、一緒に漆の仕事をしています。
昔の人の苦労に比べればどうでもないことですが、最初はまったくやっていけませんでした。
それがだんだんと、お客さまやビジネスパートナーさまにも恵まれるようになり、かろうじて日々の暮らしだけはすることができています。
それにしましても…。
自分の生活や仕事をふと見回していますと、材料にしろ道具にしろ、そして身の回りのものにしろ、不思議と「自分だけの力で得た」と思うものがほとんどないんですねえ。
この日記に、日々漆のことを書かせていただいてますが、もしかしたら「漆のことをいろいろ分かってて、すごいな!」と勘違いされている方がいらっしゃると困りますので、ちょっと弁解?させていただきますね。
それは、本当にとんでもないことで…。
日記の文章だけでなく、私自身はただの媒体にすぎず、長い年月の間に多くの方が積み重ねてきた財産を、ひょんなことに私のような者がそれをちょいとお借りして、読んでくださる方にお見せしているだけのことです。


気がつけば、お盆休みもあとわずかですね。
皆さま、ふるさとでゆっくりと骨休めしてくださいね。^_^

posted by 宮崎佐和子 at 21:51| Comment(8) | TrackBack(1) |   思うこと

2009年05月30日

■黒蝶真珠と漆。

わたくしごとで恐縮ですが…。
少し前、ずっと前から欲しいなあと思っていた、黒蝶真珠のフォーマルネックレスを買っていました。
黒蝶真珠7
写真には写っていませんが、同色のピアスもあります。

真珠…きれいですね。好きです。
以前も書いていますが、真珠の輝きと漆の輝きって似ていると思います。とても惹かれる輝きです。ぴかぴか(新しい)

バッド(下向き矢印)クリックで写真が大きく拡大します。
黒蝶真珠
私の黒蝶真珠は、色は干渉色のほとんどないブルーブラック。トップは12ミリ近いかなりの大珠、サイズグラデーションで末の真珠は8ミリ。43珠で長さは45センチです。

黒蝶真珠のフォーマルなんて、何十万お品によっては何百万もするような大変な高級品なんですが、最近は円高でかなりの良品がうんとお求めやすい価格で出るようになりました。(以前、某番組でとある大統領夫人がそれはそれはみごとな、径17ミリくらい?の超巨大な、しかも粒ぞろいの黒蝶真珠のネックレスを身に着けてらっしゃったことをふと思い出しました。きっとすごいんでしょうね)
私が買ったのは、フォーマル専用の黒真珠卸店さんです。
南洋真珠らしい大きめの珠、形もバロックでなくラウンド〜セミラウンド系と好条件で、予算内のお品だったので決めました。
松本は黒蝶真珠らしいグリーンカラーの干渉色いっぱいのが良かったらしいんですが…(たしかに干渉色ってキレイなんです)
でも、実際に身につけることを考えると、孔雀色って勇気要りますしやっぱり人を選ぶ色じゃないかなあ、と。;;
で、一番無難な色にしてしまいました。

これらの写真は、買った当初にいくつか撮ったもので「またゆっくり綺麗な写真を撮ろう」と思っていたところ、カメラが故障してしまいました。あせあせ(飛び散る汗)
なので、とりあえずある写真でアップしてしまいます。

バッド(下向き矢印)センター付近の珠。
黒蝶真珠2

黒蝶真珠3
う〜ん、やっぱり漆の塗膜の輝きに似ている…。


黒蝶真珠はタヒチ真珠とも言われますね。
日本ではなく、温かい南の海で養殖されます。この「黒蝶真珠」の貝殻は、大変美しくて古来から「螺鈿」という蒔絵の素材として使われていました。

バッド(下向き矢印)工房で仕入れた黒蝶貝の原貝です。(素材大好き)
2/7 黒蝶貝の原貝2
バッド(下向き矢印)ちなみに…こちらはあこや原貝です。
5/21あこや原貝
愛媛県宇和島のあこや貝です。
比べると日本のあこやは華奢で小さい!です。

あこや真珠の美しさは、南洋真珠と少し異なるような気がします。清楚な美、連なった連携の美というか…
あこや真珠は、しみ抜き、調色に大変力を入れていて、素のままのナチュラルな珠が市場に出ることはたいへん少ないそうです。(きっと企業秘密の多い部分ですね)
最近は、バロックのあこや、ブルーやイエローの色も人気が出ているみたいですが、やはり粒ぞろいのピシッと整ったホワイトピンクのあこやフォーマルがいつか欲しいものです。(できれば花珠)
※宇和島のあこや養殖場のレポ

黒蝶真珠4
さて、ネックレスの仕上げにはいろいろタイプがあるみたいです。最近はシリコンクッションを珠と珠の間に挟んだものも人気があるようなんですが…。
これは絹糸によるオールノッチ連装。珠を一個ずつキッチリ結んだもので、糸が切れても珠がバラバラとこぼれないようになっています。(昔のドラマの演出でありがちでしたね。;;)
とにかく、今は南洋真珠はお買い得と言えます。

バッド(下向き矢印)さて、珠の中で一個だけ干渉色が少し入っている子があります。
黒蝶真珠5
ボワッと赤い色がさしてます。

     バッド(下向き矢印)ちなみにこれが原貝の真珠層。
2/7 黒蝶貝の原貝の真珠層の輝き
きれい…干渉色たっぷりです。

黒蝶真珠6
ここはすその珠でえくぼが多い部分です。


有機物のジュエリーは、やはり人肌を思うようなあたたかみや柔らかさ、母性を感じるような気がします。
きっと漆の魅力も、通じるものがあるのでしょうね。

posted by 宮崎佐和子 at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) |   思うこと

2009年01月30日

■「日本産漆(国産漆)」というタブー。

国産漆だけの漆工房「和うるし工房あい」を立ち上げたのは、2001年の春になります。
なんやかんやで今年の春で9年目になるわけですね… 本当に「今までよくやってこれたものだなあ」と我ながらびっくりしつつも驚いてしまいました。

1/30漆の発芽
工房立ち上げ時の時に、松本が撮った漆の芽の写真。
工房の庭で、初めて発芽させたものです。


国産漆、つまり「日本産の漆」は漆の世界では異質で奇妙な存在です。言葉を変えれば「タブー」的な存在になっている、といっていいでしょうか。
すごく不思議でしょう? でもそうなんです…。
きっと一般の方は「えっ、どうしてなの?」と意外に思われることでしょう。
でも本当なのです。
この「タブー」という言葉、何げなく辞書で見てみたのですが、あれっと思わず見入ってしまいました。

タブー【taboo/tabu】
《(ポリネシア)tapu(はっきり印をつけられた、の意)から》
1 聖と俗、清浄と不浄、異常と正常とを区別し、両者の接近・接触を禁止し、これを犯すと超自然的制裁が加えられるとする観念・風習。また、禁止された事物や言動。未開社会に広くみられる。禁忌。禁制。「宗教上の―を犯す」
2 ある集団の中で、言ったり、したりしてはならないこと。法度(はっと)。「彼にはその話は―だ」


思わずハッとする内容に見えました。
そして「そうか、日本産漆って本当に『タブー』だったんだ…」と、今さらながら考え込んじゃいました。

お客様にとっては、決してタブーには感じないと思います。
しかし漆を使う世界では、日本の漆は忌み嫌われているやっかいな存在、と言っても過言ではないでしょう。
なのにその反面、日本の漆は憧れの存在だったりするんです。なんだかとっても矛盾しているでしょう?
話せば長いことながら、近世の歴史の流れで、こんな状況になってしまいました。
そして日本の漆は、今なお神秘のベールに包まれたままになっています。その素顔を知ろうとする人はまだまだ数少ないです。
そんな中、うちの工房は、その神聖な?「タブー」を平気でやぶっているとも言えるわけで…たらーっ(汗) 本当に若さの勢いで、怖いものなしでやってきたもんだなあ〜と、今さらながらドキリとしてたりします。
でも、その姿を偏見なく正しく正面から見すえれば、日本産漆は乗り越えてあえて近づきたい!と思うほど、たいへん魅力的な素材だったのです。
その真の姿を人々に見られることなく、日本から消えてしまうのはあまりにも惜しい…と素直に思って、いまの仕事の形をとることとなりました。

そういえば、ネットで検索すると「国産漆で作りました」とコピーのついた商品の多いこと多いこと。また、そこまで言い切っていなくとも「ぜんぶ国産の素材でできているんだ」と、ごらんになった方が誤解するような説明のものもいっぱいあります。
国産漆の内情を知っている私たちは「あ、またあるね〜」と思うだけですが…。(量産品は、国産どころか天然の漆を使われていること自体が少ないんです)よく分からないふつうのお客様は、きっとよい方に信じてしまうだろうなって思います。
そんなページは辛くなるので、なるべく見ないようにしているのですが、こういったものも、日本産漆の真の姿をより分かりにくく、さらに厚いベールをかけているんだなあ…とちょっとさみしく思ったりしています。

うちは本当に小さな漆工房ですが、漆を愛するお客様と仕事を支えてくれる方々のおかげで、やってこれました。
早いもので1月ももう終りますが、今年は工房にとってちょっと節目の年になりそうな気がします。
あらためてになりますが、今後ともよろしくお願いいたしますね。^^

MUGI
今日もダイエット続行中の、むぎ君です。
この子のぜい肉も漆でできてるんですね…。
本当にありがたいことです。;;



posted by 宮崎佐和子 at 23:12| Comment(10) | TrackBack(17) |   思うこと

2008年10月09日

■日本産漆と真珠の輝き。

先日、琥珀は漆に似ていると書きましたが、最近、ほかにもつくづく「似ているなあ」と思うものがあります。

それは「真珠」なんですね。ぴかぴか(新しい)

天然真珠の、どことなく輪郭のぼんやりした、しかし深い部分でキラリとしたみずみずしさを感じさせる不思議な美しさ…。
その素材感が国産漆、ことに浄法寺の漆かき職人、大森俊三さんの採る真夏の漆に似ているのです。(工房では上塗りは大森俊三さんの漆を塗っています)


バッド(下向き矢印) いつものように、無溶剤、国産漆(主に岩手県)100%のお椀です。色をつけない漆の樹液そのままを塗り重ねたもので、フィニッシュの上塗りは、前出の通り大森俊三さんの漆です。
お椀
その微妙な質感を、私のカメラでは写し出すことは難しいですが…;
これは、なかなか気に入った塗り上がりのお椀の一つです。
表面が乱反射して輝き、なおかつ透明感も感じさせてくれます。
本当に微細な表情ですが、これは上質の国産漆ならではの表情だと思います。(和珠にも選抜きの中国淡水に劣る粗悪品が当然あるように、漆も日本産漆なら、必ずしも美しいというわけではないんです)
どの世界にもその道の名人はいるもので…大森俊三さんの採る漆は、間違いなく最高ランクで本当にすばらしいと思います。


バッド(下向き矢印)さて、南の海の真珠たちです。どことなく肌が似ていると思いませんか?
真珠
南洋のバロック真珠。白蝶貝の真珠ですね。
(奄美の養殖場で買ったものです)
真珠
黒蝶貝の真珠。
とっても気になる輝きです。ぴかぴか(新しい)

こうして見ると、漆も真珠もおだやかで優美なものですね。
貴金属や宝石のように強いインパクトは持っていませんが… いつまでも見つめていたくなる優しさや潤いがあります。

さて、同じ年度の大森俊三さんの盛り漆を使っても、上塗りのタイミングや漆の熟成などによって、塗り上がりの微妙な雰囲気がかなり異なります。
これがブレンドや調合をしていない、生ものたる山出しの漆の気難しさです。(漆を扱う業者さんの漆芸用の漆は、主力商品の中国産漆をふくめ、仕事をしやすいよう漆を調合してくれています)

でも、工房で扱う1本立ての漆はそうはいかないんですよね…。けっこうなじゃじゃ馬揃いです。;
漆が喜ぶような漆室をつくり、丹念に塗り上げて入れ、深く輝くような塗り肌に仕上がると「やった!」と嬉しくなります。
気に入った塗り上がりになった時は、漆室から出した器をずらりと並べて、松本と二人で吸い込まれるように見入ります。

今年の春は、宇和島の真珠養殖を見に行ったりしていましたが、養殖場の方々が丹精こめて育てた母貝から、真珠を浜あげする時の気持ちに近いものがあるのかもしれません。


バッド(下向き矢印)こちらは、また違った風情の塗り上がりになりました。
お椀
上のお椀よりも、つやがあってうるうるした感じですね…。
手触りもしっとりしています。こうしたツヤ感のある塗り上がりの方が好きだと言われる方も多いです。
これも、大森俊三さんの漆なんですよ。
真珠
濃いめの色の黒蝶真珠。
…やっぱり漆ににているなあ。



漆と真珠、共通点があるとすればどちらの生き物である木と貝の「山の恵み」と「海の恵み」ということでしょう。
木が傷つけられた体から流す樹液と、貝が体内に入った異物に巻いた分泌液、どちらももの言わぬ生命が必死で流した血そのもののようなもの、と言ったらセンチメンタルすぎるでしょうか。

こうした素材を手に取ることができるというのは、本当にぜいたくなことと思います。
そして真珠は、美しい本物を比較的容易に見ることができますが、漆はそうはいきません。ピュアで最高品質の日本産漆を実際に見る機会は、複雑な事情により、そうそうないのが現状です。

もし、作品展会場に来られましたら、いろんなドラマを持った器の数々を実際に手に取って見てやってくださいね。^^


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posted by 宮崎佐和子 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) |   思うこと

2008年02月10日

■漆の展示会に「漆がなかった」話。

もう数年前のことになりますが…。
とても印象深い出来ごとをちょっとお話しようかと思います。
この1件も、私たちにとってかなり衝撃的?な体験で… 日本産漆の受け入れの難しさをまざまざと感じさせた出来ごとでした。


まだ工房を立ち上げて間もない頃…。
都心で「新しい漆の世界」という意味あいのタイトルの催事が行われていました。
とある方(私たちの活動にちょっと関心のある県庁の方)が「きっと参考になるから」とすすめて下さって、作品展の前で準備でばたばたしていた時でしたが「でも勉強になるよね!」と松本と見に行きました。
催事のテーマは「従来の漆の表現にとらわれず、新しい漆の価値観をあらわす」といったもの。
その「新しい漆の世界」の会場には「漆」というイメージを払拭するような、鮮やかな工業製品、スタイリッシュな家具、面白い小物やアクセサリーが並んでいて、私も「わあ〜exclamation」と楽しみながら見ました。
会場を出たあと、松本と「面白かったねえ」と話しながら帰ったのですが、そのあと二人とも顔を見合わせて「でも、あそこには漆がなかったね」とくすくす笑いました。
そうです。
その会場のものは、どうみても化学塗料のものばかり。
合成樹脂にいくらか漆は入っているのかもしれませんが、どうみても漆ではなく私たちには石油製品の展示会にしか見えなかったのです。(ごめんなさい〜)
そしてその何日か後のこと。
和うるし工房あいの工房展を開催中のことでした。
いろんな方やお客様が見に来て下さったのですが、その中に漆のうつわを専門に扱ってらっしゃるギャラリーさんの姿もありました。
当然、日本産漆だけで作られる器を楽しみに、たいへん遠くからわざわざ来てくださって、丁寧に作品をごらんになっていたのですが…。
後日、感想をお聞きした時に「悪いけど、あの作品展会場には漆がなかったわ」と漆のギャラリーさんがおっしゃったのでした。

この時は意味がよく分からず、最初は二人とも「??」となりましたが…。
だんだんと『中国産漆で作られたという器を、昔から慣れ親しんでいる者にとっては、あなたたちの日本産漆100%の塗りは、とうてい漆とは思えない』という意味だと分かり、「ええ? がく〜(落胆した顔)』とその衝撃が、ボディーブローのようにじわじわと後から効いてきたのでした。(笑)

なんとも皮肉というか…。
「じゃあ、生粋の国産漆は、いったいどうすればいいんだろう… もうやだ〜(悲しい顔)
…と、当時は私たちも今より若かったこともあり、けっこう真剣に考え込んでしまった1件でした。



posted by 宮崎佐和子 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) |   思うこと

2008年01月22日

■日本産漆を使う事の「異常さ」。

少し前の話ですが、ショック…というよりちょっと驚いたことがあったので、ここにまとめてみたいなあと思います。

お世話になっている、とある漆作家の先生とお話する機会がありました。この方は、漆芸家には珍しく日本産漆の関心が高い方で(漆をされている人なら誰でも日本産漆を使いたいと思っているわけではないのです)私たちの活動にも理解のある方なのですが…。

しばらく世間話をしていて、使っている漆の話になった時、その方が何げなく
「君のところでも、中塗りくらいは中国産漆を使っているんだろう?」とおっしゃったのです。ええ?がく〜(落胆した顔) と一瞬耳を疑いましたが(先生、ごめんなさい…)
「なにおっしゃるんですか〜、うちは木地固めから上塗りまで日本産漆だけしか使ってませんよ」と即座にお答えしたら「そうか」と言って下さいました。
たったこれだけの出来ごとで、そうたいした話ではないのですが…。あせあせ(飛び散る汗)
松本と私は、ちょっと「う〜ん」と考えさせられました。

漆の木を育てて漆かきもし、そして日本各地の最高だと思う漆を使って日本産漆のみで仕事をしている、ということを掲げて工房を立ち上げ、その通りのことをなんとか続けているのですが、こういったコンセプトを一般の方は「こういった時代だものねえ」「かぶれそうだけど面白いじゃない」とか、わりとすんなり理解して下さいます。

しかし…どうも同じ漆をされる方には、そうはいかない話みたいです。

その先生も決して知り合ったばかりの方というわけではなく、10年とは言わないくらいのお付合いがないわけでもないのですが、やっぱり
「最初から最後まで、オール日本産漆でものをつくっている」
…ということは、いろんな意味でどうも常識を超えていることらしいのです。
って「らしいのです」と書きましたが、私ももとはその世界で勉強させていただいた身。「常識を超えている」っていうことの感覚を何となく思い出すことができます。(いい材料いい道具に比較的恵まれた塗師の家でいた松本には全然分からないみたいですが)

まずは「価格的にありえないだろう」ということ。

作業工程がたくさんある漆芸作品は、制作に手間ひまかかってそれだけでも大変です。そして、がんばっても飛ぶように売れるものでもないのです。そんな中、流通価格が中国産漆の数倍から十倍はする日本産漆は、個人の作家さんなら上塗り用に1キロ買うだけでもけっこう勇気がいるものです。

そして「日本産漆だけではものが作れないだろう」ということ。

漆を使う作業は、デリケートなものです。
ひと仕事したものが、なかなか乾かない、ということは次の仕事に移れず大変難儀してしまいます。
また「以前塗り上がったものと全然塗りの雰囲気が違ってしまう」というのも困りものです。
でも、これは、工房で使っている思いっきりの「山出し」の日本漆では当たり前のこと。
しかも扱いの勝手が、ふつうの漆とはかなり違うと思います。

なのでどうしても高価すぎない漆、扱いやすい漆、確実に早く乾く漆、ということで、漆屋さんの用途別に調合した漆から完全に離れて仕事をする…ということはリスクが高すぎで、ふつうの感覚では「そこまでしなくても」と、非現実的なことなのかもしれません。


そういえば、私たちが国産漆だけで仕事をしている、ということを信じていなかった方が他にもいらっしゃいました。
とある長らく親しくさせていただいている漆かきさんなのですが(私も研究生時代には、漆かきや漆の木を見せてもらってとても勉強させていただき、工房を作った時も応援の言葉を下さった)先日、久しぶりにお会いして世間話をしている時に
「そう言えば、あんたのところは、どのくらい中国産使っているのかな?」と当たり前のようにおっしゃったのでした。
これには、私もがっくり…。
ずっとお付合いしていて、いろんな話をして、もちろん私たちがどんな気持ちでこの仕事をしているかご存知のはずなのに…。
本当に体の力が抜けてしまいました。


誤解しないでいただきたいのですが、先生や漆かきさんのことを私たちが「ひどい〜!」と思っているわけでないことをご理解くださいませ…。(お世話になっている大事な方なのです)
逆に「さすがに少しは日本産じゃない漆を使っているんだろう」と思っていらしたことを、正直に言ってくださってありがたいことでした。
その先生や漆かきさんの何げない言葉のおかげで、忘れかけていた漆にたいする先入観をふっと思い出し、「日本産漆を使うことって、今の日本では異常なんだ…」と身近なことで気づかされたのでした。

日本産漆の窮困は、こうしたことも一つの要因かもしれません。

…となんだか湿っぽくなりましたがあせあせ(飛び散る汗)
そんなことも考えつつ日本産漆の現状打破に、微力ではあるけれど地道にがんばっていこうと思います。


posted by 宮崎佐和子 at 21:25| Comment(12) | TrackBack(0) |   思うこと

2007年07月13日

■日本産漆の品質について/2

「高価な日本産漆でも、中国産漆より品質の劣るものがある」

前回、ちょっとショックを受けるような内容のお話を書きました。
なぜ、日本産漆といえども品質の大きな高低があるのか…。
でもそれを説明する前に、漆という素材がどんなふうに流通しているのか雰囲気だけでも知っていたほうが分かりやすいかもしれませんね。
なぜ、日本産漆といえども品質の大きな高低があるのか?
そのお話に入る前に、ちょっとその当たりの様子を少しお話しておきましょうか。^^

漆原料、漆塗料、漆樹液… 漆製品になるまえの「漆」は、まさに「水もの」といった形相を呈して、小さな漆工房のブログといえども公共の誌面で書くことためらわれる「暗部」がたくさんあります。漆の世界は、材料も技法もほんの少し前は極秘・秘伝だらけの世界で、そういった世界にいない人には容易にうかがい知る事のなかったものでした。
そしていまは情報がオープンになってきて、漆の世界に生きる人がかなり自由に物を語る時代になって、その中にも私たちがあるのですが…。
しかし、こういった話題はいまだタブーとされている部分があり、原材料の「漆液」に関しては、最たるものかもしれません。
ここで全てを語りきる、ということは決してありませんが、そういったところも、ふまえて読んで下さると幸いです。


日本産漆は、普通に入手すると中国産漆よりも価格が数倍〜10倍くらいします。(こうした漆塗料は、通常の業者さんや作家さんは『漆材料屋さん』や『漆精製業者さん』で購入します。画材屋さんの漆版みたいなところです。驚くほどきめ細やかなラインナップがありますが、最近はどこのお店も大変なようです)
これは、なぜかと言えばいろいろ要因があります。それらの要因は方向性が異なります。

・流通や物価差によるコストの違い


これはどなたでも想像できるように、日本と中国の人件費や
物価の違い等から生じる価格差でしょうか。日本に入る中国産漆の質が向上したのは、生産される中国産漆全般の品質じたいは変わらないそうですが、日本の漆業者さんによる現地買い付けや直接契約など、日本側の業者さんの企業努力が大きく関わっています。そしてそれを可能にした中国経済の自由化も背景にあります。

・日本産うるしと中国産うるしを分けて販売している


通常「日本産漆」と「中国産漆」は「別のカテゴリ」として分けられて販売されています。
漆材料のカタログを一度ごらんになれば分かるように、「日本産漆」と「中国産漆」は別項目でリストされています。これは本来の仕入れ価格差もありますが、やはり漆材料屋さんの中でも「日本産は別格」という意識が強く働いているのだと思います。
前回述べたように、唯一の品質基準である分析による成分数値はふつうされることはありません。成分分析は特殊なもので、研究などでしかされないものです。しかし、現物の漆を見れば、いわゆる「目利き」でかなりの判断できます。そもそも、以前は分析などなかった訳で、人の鋭い官能が基準でした。(粘度、のび、色、匂い等。以前は買う側も「目利き」で漆をよく吟味して買っていた。昨今は「漆を見ることのできる」人がいなくなった)
そして、漆は農産物に近くて、年によって出来不出来は大きく左右されます。そういった中で、「漆をみる」「目利き」の方が入荷されたそれぞれの漆を見て判断し、「中国産」「日本産」のそれぞれの枠の中で整合性を取りながらランクをつけて加工・あるいは生うるしのままで商品化しているものと思います。(ブランドの茶葉やコーヒー豆の調合のようなものではないでしょうか)

いろいろと述べてきましたが、こうして見ると材料としての漆樹液も、いろんな意味でそろそろ転換期ではないかなあと感じてきます。
そして、次の要因がたいへん重要です。私たちの案ずるところでもあります。

・高品質の漆を採る価値が、日本で認められていない


これは、どういったことかというと「漆かき職人さんが、どんなに頑張って品質の良い漆を採っても、生活できない」という背景があるのです。
以前「日本産漆の流通はわずか1トン強、中国産漆の100分の1」ということを書きました。(平成16年農林水産省の特用林産資料より、昨年の数値はまだ公表されていないが、日本産中国産とも流通量はさらに低下していると思われる)
なぜ、日本産漆の生産量は1トンそこそこしかないのか?
これも一般に大きく誤解されているのですが「日本産漆を買う人がいないから」なのです。決して「日本産漆は、引く手あまた」ではないのです。
このわずかな日本産漆も毎年売れずに残り、これで生活するどころか「もうワシの代で最後だから」と、おじいさんの漆かきさんが最後の誇りでやっているのにすぎない状況です。
後継者も育たず、産地も荒廃する一方なわけです… たった1トンの漆を、われわれ日本人がまったく必要としていないのですから。
なので、日本の業者さんや作家さんたちが日本産漆を使わないのは「生産量が少なくて手に入らない」という理由ではなく、もっと別のところにあります。(コスト面も大きいですが…それだけでもないのです)

したがって、こんなに仕事を認められていない(売れないとはそういうことです)漆かきですから「いい漆を採ろう」という意欲が薄れていくのはしかたありません…。そして、漆樹液産地でもあんまり縮小すると(例/漆かきさん数人の産地・うち漆を掻いている人1名、他は休業で農家など他の仕事をしている)同業者がいない状態なので、他の人よりもいい漆を採ろうという競争心は育ちにくい。とりあえずキズを付けて漆を採っているだけでも「よくやるなあ」という感じなのです。
こういった産地の衰退は悲しいほどで、浄法寺の小さな村でも漆かきさんが500人くらいいた時代があり、中でも腕のいい漆かきさんは「漆を3年掻けば家が建った」というのが信じられないほど。
でも、こういった状況は漆に限らずほかの日本独特の素材も同じようなものでしょう。
日本の魂が失われていくようで、なんとも言えないものがあります。

でも、そんな悲しい現状の日本の漆…
しかしがっかりしないでください。日本には「わあ、すごい!」という素晴らしい漆と、そんな漆を採る人がまだいるのです。
そんな漆に出会えたからこそ、私たちが日本産漆だけで頑張って行こうという気持ちになっているのです。
それとからめて、なぜ、日本産漆といえども品質の大きな高低があるのかの説明をしていきたいと思います。


それにしても、こういった話題はとっても神経を使って消耗します。
また、限られた文章で見る方がどういった印象を持たれるのか気になります。意図や説明をただしく受け取ってくれていただいているといいのですが… でも、そろそろこういった部分にも光を当てていく時期だと思いますので、少しずつ続けていこうと思います。
(続く)


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posted by 宮崎佐和子 at 22:15| Comment(2) | TrackBack(0) |   思うこと
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