この「和うるし日記」がスタートしたのは、2006年4月1日でした。
早いもので、今月で11年めに突入しました。

長い期間、読んで下さっている方、本当にありがとうございます。

工房がスタートしたのが2001年の春なので、5年後にこの日記を付け始めたことになります。今日は、少し振り返って、思いつくことを今日は書いてみようかなあーと思います。
そもそもブログを始めたのは、友人からの強いすすめでした…。
当時はツイッターもなく、ブログでの発信がじょじょに世間に浸透している、といった感じだったように思います。2005年から、HPに付随するダイアリーに活動の様子やその時々にあったことを書き綴っていたりましたが、まだまだ私もwebへの発信も慣れておらず、とても内容が堅かったです。

しかも当時は、漆のようなマイナーな分野(しかも国産漆;;)の生き生きとした情報はあまり発信されておらず、よいお手本もなかったのですが、結局は「ありのままでいこう」と今のような形にじょじょになっていきました…。
それに「漆」、というと魅力はあるけど、どことなく寄り付きがたい雰囲気がありました。
そこで、世間の方が一番気にしているのは、漆器の原材料や価格ではなく、まずは
「漆かぶれ」だろうと思い(汗)それについて文章を書いたところ、すごくたくさん読んでいただけるページとなりました。
一時期、漆にかぶれた方の駆け込み場のようにもなり;;10年かけてコメント欄は70近くにも伸び、ふと見るとちょっとしたスレッドのようになってビックリしています。

また、ぜんぜん知らなかったのですが、漆を勉強している学生さん、そしてこれから勉強しようという方もこのブログをよく見て下さっていたようなんです。(最近、知りました)
私自身たいへんたいへんお世話になった、香川県漆芸研究所なのですが、数年前に、いったいどんなところか?修了生の視点でくわしく取り上げたことがありました。この記事が、これから研究所に行こうかと考えている方にとって、ひとつの指針にちゃんとなっていたらしいのです。
実は、「とても参考にしていました

」と、後輩になる修了間際の生徒さん自身から先日聞いたところです。わあ…そうなんだ

時間の流れをしみじみと感じております。
漆…というか、漆芸研究所がなんですが、たいへん恵まれてそして特異な環境であるので、必死で勉強したけど、修了(卒業)したとたん、丸裸で世間に放り出される形となってしまい、自己と社会のあまりの乖離に悩む友人知人があまりにも多かったのですね。その歯がゆさに「これってタブーよねえ…
ごめんなさい」と思ったけどつい力を入れて書いてしまったのでした。

20〜30代という、若く、人生の基盤作りにいそしむべき数年間を悩んで立ち止まるのはもったいないと強く思っていたんです。
でも、よかったーー。
「結婚しても、自分の制作活動を続けられる伴侶をみつけた」「もし、出産しても落ち着いたら存分に制作しますよ〜」と言って笑う、若くて柔軟性にあふれた後輩たちはとても魅力的でした。
(うっ、その若さと余裕がうらやましい)そして、漆を自分で育てて、自分の作品を作る… そうしたことが実現可能なんだ、と漆の未来について夢を持って下さる方もいらしたようで、とても励みに思います。
もう現在では、そうした制作スタイルは決して奇異なことではなくなりましたもんね。

そういえば、工房がスタートして、つい最近までのことなんですが、「国産漆100%でつくっています」とお話しすると、「ありえない」「うそでしょ?ほんとは中国産も使ってるはず」と、同業の方にはよく聞かれたものです。

それまでの漆の制作現場での「常識」では、ありえなかったんだそうです。
しかし、今はそんな昔の「常識」にとらわれない、若い感性の作り手さんが次々とあらわれました。一部の産地も数年前からそういった取り組みをされてますよね。こうした硬直していた世界も、だんだん変わりつつあるんだなあ〜〜と感慨深いです。
ああ、自分もしっかり年を取っているんだなあと実感する瞬間ですね。


ここ数年、浄法寺(岩手県)、茨城、丹波(京都)といった、日本にわずかに残る漆樹液産地の活動や日光東照宮の修復により、国産漆についての情報発信が濃厚にそして活発になり、多くの報道に乗るようになりました。
デービッド・アトキンソン氏の登場も鮮烈でしたよねーー

ドキッとされた関係者の方は多いのではないでしょうか。
それにともなって、国産漆の理解が急速に世間に浸透して、つよく関心を持って下さる方も増えたことを実感しています。
思えば、ほんとうに多くの方に、仕事を助けていただいたり、お話を聞かせてもらったりしました。
この11年間の間で、若い人の活躍が目覚ましい一方、残念ながら亡くなられた方もいらっしゃいます。
長野県の和田佐七さん
※※や、新潟県の渡辺勘太郎さん
※※などがそうです。どちらも昭和に活躍された漆掻き職人さんで、たいへんお世話になりました。激動の時代をたくましく生きた姿はとても励まされました。最近では、一匹狼で仕事していた松本を漆器組合に入るべく尽力して下さった方、そして、工房の仕事に時々ちゃちゃを入れたり、じゃま?をしたりしながら、手伝ってくれたお隣のおじさんも続けて亡くなってしまい、ふと寂しくなることがあります…。
個々の人の命や英知は、有限なんだなあと思うと人の存在はとてもはかないんですね。でも、教えていただいたことをまた人に伝えたり、その人を思い出して笑ったりできる限りは… 本当にその方が亡くなったわけではありませんよね? そう思って、ときどき心の中で偲んでいます。
…いろいろと、思い出すことがたくさんあって、11年って長いような短いような…。
でも気持としては、最近になって仕事のエンジンがかかったばかり、という心境なのが不思議です。
工房では3年前に娘が登場し、よりにぎやかになりました。
ブログ開始当初からいる、飼い猫のミルミルとむぎ君もあいかわらず元気です。
初心を忘れずに、国産漆のすばらしさを受け取っていただける仕事をしようと思います。
長々となってしましましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

12年め、13年めも変わらず続けようと思っていますので、これからも、よろしくお願い申し上げます。

のびのび〜〜〜。
このブログが始まる頃には、まだいなかったと思われるうり坊です。
いつもありがとう…→ 
