2014年05月25日

■南鴻沼遺跡の日本最古の採取跡入りウルシの木を見てきました。

さて、今回の出張の時に足を伸ばして松本はさいたま市へ行っておりました。
いま話題の日本最古のウルシの掻きがらの木を見るためです。

東京都東村山市下宅部遺跡(縄文時代後期)、西吉見町条里遺跡(古墳時代)と古い時代のウルシの掻き傷のある出土品を見させていただきましたが、こんなに古いものと出会えるなんてうそのようです。※西吉見町条里遺跡のレポはこちら

バッド(下向き矢印)会場の与野文化財資料室。
南鴻沼遺跡速報展1
南鴻沼遺跡(みなみこうぬまいせき)
所在地はさいたま市中央区大戸1丁目、調査期間は平成23年11月〜平成25年3月、調査主体はさいたま市遺跡調査会の遺跡です。
JR浦和駅から北に約600mのところにあり、鴻沼川東側の台地下に広がる低湿地にあります。
古くから長い年月をかけて、長期間人が住んだ形跡のある遺跡のようで、いろんな時代の発掘物が出てくるんだそうです。

平日でしたが、熱心な考古学ファンの方がたくさんいらしてました。


さて… 今日のお目当てです。

南鴻沼のウルシの木出土品1
こ、これが4900年も前の…。(ゴクリ)ほんとうによく残ったものです。
南鴻沼のウルシの木出土品2
まだ保存加工はしていないみたいです。
今回、掻き傷が確認できたウルシの木は、残存する長さが113cm、太さ2.5cm〜3.5cm。
放射性炭素を用いた年代測定の結果、今から4903〜4707年のものとわかりました。
また、この測定結果と出土した土層などから、ウルシの木は縄文時代中期後半のものと判明したそうです。



バッド(下向き矢印)漆掻き部分のアップ。
南鴻沼のウルシの木出土品

木製のものは、大半が消失して残りにくいものなので… ほんとうに奇跡ですね。ぴかぴか(新しい)
東村山市下宅部遺跡で、縄文時代後期のウルシの木を見た時は感動しましたが… それよりさらに古いものが確認できて、ビックリです。
実際は残っていないだけで、もっともっと古くからウルシの木と人は暮らしていたのかも?と夢ふくらみます。ハートたち(複数ハート)



バッド(下向き矢印)ちなみにこちらが東村山市下宅部遺跡のウルシの木。
東村山市下宅部遺跡のウルシの木
縄文後期〜晩期のものです。しっかりと掻き傷がありますね。
当時の取材レポをさがして、西吉見町条里遺跡と並べてリンクを貼ろうと思ったんですが… え〜うそ?ない!がく〜(落胆した顔)
古すぎて、この日記には入ってないみたいです。(取材が2004年10月、この日記がスタートしたのが2006年4月…、そうかもう10年前なのか;;)
…今さらですが、また機会を見て追加しなければ〜。

南鴻沼遺跡

この南鴻沼遺跡は、低湿地で「泥炭層遺跡」と言われるものだそう。
厚く積もった植物由来の泥炭層に、縄文時代の人々の生活の痕跡がタイムカプセルのように良好な状態で保存されているんだそうです。
下宅部遺跡、西吉見町条里遺跡で出土したウルシの木は「杭」でしたが、この南鴻沼遺跡は「杭」ではなく、寝た状態での出土だったので、地層の圧力で丸い木が圧縮されて楕円になっていたんだとか。あせあせ(飛び散る汗)

ほか、漆塗りの櫛、飾り弓、木製容器の破片などが出土されています。
…きっと私たちの祖先の当時の縄文の人々が、安定した暮らしを長らく続けてこられた豊かな地だったのでしょうね。
塗りの技術もそうですが、漆の栽培、樹液の採取などといった技術の伝承は、安定した地盤の上で行われたと思われるのです… 当時は文字がありませんから口伝ですよね。
私たちの祖先、確かに存在して強く豊かにそして美意識高く生きた私たちの原点、と思うと心が熱くなります。黒ハート

学芸員さんがいらっしゃらなかったので、詳しいことが聞けなくて残念でしたが、縄文人の今の私たちと同じ仕事を見ることができて、満足でした。わーい(嬉しい顔)


バッド(下向き矢印)この速報展は終了しましたが、こんどはこちらで見る事ができます。

「さいたま市立博物館 平成26年度収蔵品展」
会場/さいたま市立博物館 1階 特別展示室
会期/平成26年6月3日(火)〜8日(日)※ウルシの木の展示期間です。



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posted by 宮崎佐和子 at 13:02| Comment(2) | TrackBack(0) |   漆の出土品について

2008年06月27日

■古墳時代の「うるし採取あと」を見て来ました。

さて、先日、ちらりとお知らせしましたが…。
東京での作品展が終わった翌日の6/24、すぐに香川に戻らずに埼玉県に寄って帰りました。

バッド(下向き矢印)吉見町の「吉見百穴」に行ってきたのですが…。
6/26百穴

実は、この遺跡を見に行ったのではないのですね…あせあせ(飛び散る汗)

古代(古墳時代)の漆掻きあとを見に行ったんですexclamation

ごらんになっている方の中には「えっ、漆ってそんな昔からあるの?」とびっくりされている方もいらっしゃるかもしれません。
日本の漆製品の出土は、古くは縄文時代からあります。(有名なのは是川遺跡ですね。是川遺跡には私たちも何度か行きました。→ここ
北海道・南茅部町の垣ノ島B遺跡で出土した漆製品は、なんと推定9000年前のものと判定されました。
それまで「一番古い」とされた中国の河姆渡(かぼと)遺跡の約7000年前の漆製品をはるかにしのぎ、漆文化の中国起源説を大きくくつがえす資料となったのです。
(この『世界最古の漆製品』と世間を沸かせたこの漆出土品も、2002年に残念ながら火災事故で消失してしまいました…。もうやだ〜(悲しい顔) )

さて、前置きはこのくらいで…。

「吉見百穴」遺跡の隣りにある、吉見町埋蔵文化財センターにおうかがいしました。
古代人の漆掻きの仕事…。
現在の漆掻きびと(この場合は松本)の目にはどのように映るのでしょうかexclamation&question

(以下、出土品の写真撮影・『和うるし日記』での紹介については、吉見町教育委員会からの許可を得ています)


バッド(下向き矢印) 調査員さんに、その出土品を保管室から出していただきました。(この包みの中に…どきどき揺れるハート
吉見町埋蔵文化財センター

バッド(下向き矢印)これが1300年前の漆の木です。
 クリックで拡大します。(以下の写真、同)
吉見町から出土したうるしかきあとの残る杭
漆かきあとの出土品は3本あります。


この出土品は何かといいますと…。
吉見町の広報誌に掲載された埋蔵文化財センターの資料から、抜粋いたします。

昨年12月の公開以来、注目されている西吉見町条里遺跡(流川耕地内)から発見された「漆採取痕のある古代の杭」について紹介したいと思います。
発見された3本の漆採取の痕跡を残す古代の杭は、平成13年度に実施した西吉見町条里遺跡の古代道路跡の発掘調査で出土したものです。
ちょうど古代道路が旧河道(小さな河の跡)を横切る部分であり、その川岸の両側には、約300本の大小さまざまな大きさの杭が地盤の補強材として打ち込まれていました。
その約300本のうち5本がウルシ材であり、さらにそのうちの3本については杭の表面に幅5〜8mm、深さ約1mmのキズが材を一周するようにいくつもついているのが確認されました。
おそらく、最初は漆を採取するために利用されていたものが、やがて良質の漆が取れなくなり、古代道路を作る際の土木資材としての杭に転用(2次利用)されたものと思われます。
この杭の年代は、その出土状況と放射性炭素年代測定法の結果から、古代(7世紀後半〜8世紀前半)のものであることが判明しました。
現在、漆を採取した痕跡の確認できる資料が出土している遺跡は、全国でも3例しかなく、今回の西吉見条里遺跡で4例目となります。しかも古代の遺跡では2例目という非常に貴重な発見となりました。
※漆採取の痕跡が確認できる資料が出土した全国の遺跡
(1)東京都東村山市下宅部遺跡(縄文時代)
(2)石川県かほく市指江B遺跡(古代)
(3)富山県小矢部市桜町遺跡(近世)
(4)埼玉県比企郡吉見町西吉見条里遺跡(古代)

※この(1)の下宅部遺跡の縄文時代の漆採取あとの出土品は、発表から間もない頃に、松本と見に行ってます。今回の吉見町の出土品も、下宅部遺跡の調査員さんが東京の作品展に来てくれて、その時に「ぜひ」と教えてくれたので、今回予定を調整して埼玉に行くことにしたのでした。


このウルシの木は7世紀後半の遺跡から「杭」として使われていたもの。
300本というたくさんの「杭」が出土した中、念のため樹種鑑定してみたところ、うち5本がウルシ材と言うことが判明したんだそうです。
さらにその5本のうち、3本が「漆樹液を採取したらしい傷あと」が確認されたのでした。

吉見町の古墳時代のうるし掻きあと
うち、2本は保存処理済みということで
手に取って見せていただきました。


以下、続々といろんな角度で撮った写真をアップします。

バッド(下向き矢印)クリックで拡大します。(以下同)
吉見町から出土したうるしかきあとの残る杭
ウルシの木の皮は柔らかいので無くなっています。

吉見町から出土したうるしかきあとの残る杭
奥の材と、色が違うのは保存処理の違いだそうです。(奥のはもろいので、触れません)
でも、この黄色っぽい色が生々しくってリアルです。実際のウルシの材もこれにかなり近い色をしているんですよ。
吉見町から出土したうるしかきあとの残る杭
これらの古代の人が漆を採った仕事の痕跡を見て、松本は「すごい技術だ、今とほとんど変らない」と驚きを隠せませんでした。
キズがややらせん状になっているのは、採った人のクセかもしくはその土地のやり方ではないかと。
調査員さんも、興味津々です。
漆かきについていろいろ情報交換をして、男性どうし、いろいろやりとりが楽しそうでした。

(↓こんな感じです)
「あと、漆採取の道具とか見つかればねえ」
「ほんと、ほんと」
「漆を使える人って、当時もすごく限られていたはずなんですよ。だからそんな仕事をしていた跡地でも見つかれば」
「本当に、相当早い時期から技術が完成されていたみたいですね」

吉見町から出土したうるしかきあとの残る杭
「杭」に加工されているので、こちら側は
削って加工されています。

もともと、これらの「杭」は、古代道路造成にともなって(当時、たいへん規模の大きい道路が造られていたのです)地盤改良のために、打ち込まれていたものだそうです。
大きな工事に大量の杭が必要になったので、漆を採ったあとの廃材をリサイクルしたのでしょうか。

吉見町から出土したうるしかきあとの残る杭
吉見町から出土したうるしかきあとの残る杭

今までこのような角度で検査したことがなかったそうなのですが、確認してみたら近辺でも同様のウルシ材が出土しているんだそうです。(こういったことはよく聞きます。あまりにも膨大な出土品の数々を細かく精査するのは限界があって、中には見逃してしまうものもあるかもしれないんだそうです。←でも、人の手と目でするものなので仕方ないですね。あせあせ(飛び散る汗) それが難しいところですが、こんな事例が出てくると、その視点で調査することができるので、今まで見逃されていたであろう出土品が確認されて、新事実が判明することもあるらしいです)

今回は、急に無理を言っておうかがいしたのにも関わらず、本当にありがとうございましたexclamation
短い時間でしたが、とても有意義なものを見せていただきました。^^

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さて、話はがらりと変りますが…。

バッド(下向き矢印) 埋蔵文化財センターの施設内に「勾玉つくり体験」のコースがあります。子供向きの教室なのですが、せっかくなので二人で体験させていただくことにしました。
6/27勾玉を削る松本
…松本は夢中でけずってます。笑
ストレスが溜まっていたらしいです。

コースの内容は、好きなロウ石の角材(いろんな色があるんです)を選んで、勾玉の型紙を当てて下書きの線を入れ、それに合わせてヤスリ等で削っていくんです。
これは子供にはけっこう難しい作業ですねえ。あせあせ(飛び散る汗)
(特に勾玉って立体に削り出すのには、かなり難しい形だと思います、体験コースではモース硬度1のロウ石ですが、硬いヒスイや水晶を古代の人たちはどんな道具で美しい勾玉に加工していたんでしょう?)

6/27作った勾玉
できました! 左が松本、右が私です。
好みの色の紐でペンダントにしてくれました。


実は、この体験コースで「琥珀の勾玉作り」というものもありまして…。
それも二人とも参加していたのですが、夢中になりすぎて、びっくりするような時間になっていましたexclamation 
で、私は材料だけ持ち帰らせてもらいました。(松本は手が早いので、調子にのって?琥珀の勾玉も完成させましたよ… おかげで帰りの新幹線はギリギリでした)

そんなこんなで、東京〜埼玉と、珍しくハシゴして貴重な体験をしました。
それにしても、漆って、本当に不思議ですねえ。
昔の人たちに恥じないような仕事をしたい、と思いました。



posted by 宮崎佐和子 at 23:37| Comment(4) | TrackBack(0) |   漆の出土品について

2006年10月05日

■縄文の漆に触れた思い出。

今の工房の活動力のひとつに、縄文時代をはじめとする漆文化の憧れがあります。
この時代のものに、憧れない方はいないのではないでしょうか? ホントにそう言い切ってしまいたいくらい、当時から日本人は美しいもの、創造力に満ちたものをたくさん作っています。

今から6年ほど前ですが、青森県の是川遺跡に松本と行ったことがあります。ここの遺跡は、日本でも代表的な籃胎漆器(竹を編んで作った漆器)が出土したことで有名です。(残念ながら、この時は籃胎漆はほかの催事に行ってしまってて出会えませんでしたが… その数年後、再度訪れた時にとやっと見ることができました)
漆を見に来た、ということで縄文学習館の学芸員さんが、漆の出土品をいくつか出してきてくださいました。

10/5縄文土器2
朱漆を塗った土器。数千年前のものとは思えない美しさです。


ここの出土品で使われる朱漆の顔料は、水銀朱とベンガラの両方が使われている…とのことでした。水銀朱は、高価な顔料でとても鮮やかで美しい朱色が得られます。ベンガラは酸化第二鉄が主成分の顔料。やや地味な色合いの赤色になります。

でも、ここの出土品のベンガラ漆は、とっても華やかできれいなんです!
(それは、学芸員さんもおっしゃってて…。どこで産出されたベンガラなんだろう。当時はまだ分からないと言われてましたが)


10/5縄文土器1
破片ですが、手に取って見せてくださいました。
縄文時代の漆に触れることができて、感激!でした。


この破片は、一番上の写真の土器の内側です。(口が広くすごく平たい器でした)
「この器の内側って、どうやって塗ったのでしょう?」と学芸員さんに聞かれて、松本は「指で、じゃないですか」。
私も手に取って、ひとさし指で器の口の内側をなぞると、本当に指が届くところぴったりに漆が塗られてました。
驚いてふと見ると、私の指の先に明らかに指先と思うようなかすれた塗り跡があって… 一瞬、これを作った人とリンクしたように思いました。




10/5縦穴式住居
是川遺跡・縄文学習館の中にある、縦穴式住居。
中に私が入っているの…わかりますか?
なかはたき火をしていて、不思議とくつろげる空間でした。(^_^)


posted by 宮崎佐和子 at 22:04| Comment(10) | TrackBack(0) |   漆の出土品について
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